こんにちは、Yotchanです。
本日は私にとってiPadはタブレットなのだと気づいた話をしたいと思います。
Magic KeyboardをつけたところでMacにはなれないんですよね。
久しぶりに12インチのMacBookを使って気づいたこと
改めて思いますが見た目って大事ですよね。
12インチのMacBookは2017年モデルを最後に8年間更新されていないので性能的にはもはやiPadにさえ見劣りするマシンです。
しかしながら2025年になった今でも古臭さは感じられず、手に取るたびに”良いモノ”であると思わされます。
この感覚が人生には欠かせない大切なものなのだと最近思うようになりました。
iPadに目を向けるとiPadOSがブラッシュアップされ続けていることでMagic Keyboardが登場した2020年4月と比べると格段に使いやすくなりました。
ブログを書く上では物理的にトラックパッドが小さかったり、キーボードが手狭(11インチの場合)といった点さえ除けば不満はほとんどありません。
それでもiPadがMacになれないと感じてしまうのは先ほどお話しした”良いモノ”感がiPadにはないからでしょう。
MacBookとMagic KeyboardをつけたiPadが並んでいて自然と手に取るのはMacBookです。
アルミボディのひんやりとした質感や剛性が心地よく、これで作業をしようと思わせてくれる魅力がMacBookにはあります。
私のようなブラウザでブログを書くだけのブロガーにとってiPadとMacに大きな差はないにも関わらずMacに手が伸びるのはMacBookに私の感性に訴えかける何かがあるからなのだろうと思います。
iPadがリビングにあってもブログを書こうと思うことはなかったのにMacBookがあると隙間時間でも書く気になるんですよね。
iPadはタブレット
なぜMacBookでは作業をする気になるのか深掘りしていったところ、両者への認識が明確に異なることが要因としても挙げられそうです。
iPadはタブレットなのでコンテンツ消費からブログ執筆まで幅広いタスクをこなせる万能デバイスですが、MacBookは私にとってブログのためだけに使うパソコンです。
以前、こちらの記事でも触れた話題ですが、何でもできてしまうデバイスは逆に効率が悪くなる側面も含まれているので専用デバイスを用意するのがベストであると私は考えています。
ブログの執筆以外ではほとんど触れることのないMacはまさに専用デバイスといえる立ち位置の存在なので、iPadと違って側にあるだけでブログを書こうと思わせてくれるのかもしれません。
MacBookは触れているとモノとしての良さを感じるので使いたくなります。
機能よりも”好き”が大事
iPadがMacの代わりにはなれてもMacにはなれないという当たり前のことに改めて気づいた背景にはこの一年半ぐらいで日々の暮らしに馴染んだカメラの存在があります。
どれだけスペックが良くても自分の感性に響かなければ全く手が伸びなくなるので、”暇さえあれば手にしたくなるほど私に相応しいモノ“なのか?という観点で吟味するようになりました。
そんななかでMacBookを買い足したことでMacBookに触れていると心が弾む自分に気づき、同時にiPadではその感覚を味わうことがなかったことにも気づいたわけです。
どんなモノであれ自分の持ち物は自分を表現する側面があるものなので、自分が本心から満足できるモノだけに囲まれて過ごしたいものですね。
iPad miniではなくGalaxy Z Foldを好むのもこの辺りが関係してそうですね。
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