こんにちは、Yotchanです。
本日は本格的に写真が趣味になって半年が経ち、ようやく自分が撮りたいものが分かったので参考までに共有したいと思います。
「なんとなく気が乗らない」という気分と向き合うことで見えてくるものですね。
「撮りたいもの」に気づくまで
時間さえあれば写真を撮るようにしていた
昨年の10月にSONYのフルサイズセンサー搭載コンデジ『RX1RM2』を購入してからは暇さえあれば写真を撮るように心がけていました。
初めてのフルサイズ機ということで心が弾んでいたこともありましたし、それまでメイン機として愛用していたRX100M7とは一線を画す描写の虜になっていたことも写真にハマった理由の一つです。
妻子が寝静まった後の散歩や大阪出張、はたまた田舎道を歩いてみたりといったようにさまざまなシーンでカメラと共に過ごしてきました。
カメラを買って写真熱が高まった状態であるとはいっても「なんか今日は撮る気分じゃないな」という日ももちろんありましたが、とりあえずカメラを持って歩くことを心がけていました。
「気分が乗らない」気分はどこから?
「なんとなく気分が乗らない」といった空虚感や退屈に支配されることは私にとって珍しいことではありません。
寝かしつけの時間で書いているこのブログに取り掛かる気になれないことの方が多いですし、日々の仕事に関心もないのでやる気は全く出てきません。
同様に「写真」に関しても「気分が乗らない」ことはそれなりにあります。
- 天気が悪い(暑い、寒い、雨など)
- まわりに何もない(ど田舎)
- 見知った街(近所、地元、梅田)
- 「写真」以外のことに意識が向いている
写真に関連した「気分が乗らない」理由について浮かんだ限りでは上記の4点が挙げられます。
こういった状況下でも「せっかく多額の投資を行ってカメラを買ったんだから撮らないと勿体無い」とカメラを持って出かけることもありました。
しかし、そんな動機で撮りに出かけても義務感でシャッターを押しているような感覚なので趣味の時間を過ごしている気はしませんでした。
写真を撮っていて楽しいのはどんな時?
気分が乗らないパターンについてはなんとなく見えてきたような気がします。
次に、今度は「写真を撮っていて楽しい時」についても思い浮かべてみます。
- 妻や娘の写真を撮っている時
- 一人旅(非日常)
- 絶景を目の前にした時
私が写真を撮っていて楽しいと感じるシーンは主に上記の3点のいずれかに該当していることが多いことに気づきました。
楽しい「家族との思い出」や「一人旅の時間」、思わず目を奪われるような絶景に身を置いている時は無心でカメラを構えている自分がいました。
「自分が撮りたいもの」とは?
楽しいとき
- 妻や娘の写真を撮っている時
- 一人旅(非日常)
- 絶景を目の前にした時
気分が乗らないとき
- 天気が悪い(暑い、寒い、雨など)
- まわりに何もない(ど田舎)
- 見知った街(近所、地元、梅田)
- 「写真」以外のことに意識が向いている
改めて気分が乗らない時の状況についても振り返ってみましょう。
楽しい時と気分が乗らない時の条件から推察すると私は「自分が興味や関心を抱く被写体を撮りたい」のかもしれないということが見えてきました。
当たり前といえば当たり前ですよね
「写真」は目的ではなく手段
この半年間でそれなりに写真を撮っているなかで本当に私は写真が趣味なのだろうか?と自問することは少なくありませんでした。
無条件に写真を撮ることが好きなのであれば「気分が乗らない」という気分は頻繁に起こらないと予想できるからです。
今回の思考で「自分が撮りたいものは何か」という問いに対して「自分が興味や関心を抱く被写体」という解を得たことで新たな発見がありました。
それは「写真を撮ること」が趣味というわけではなく、あくまでも「写真は手段に過ぎない」ということです。
自分が興味や関心を抱くものを「記録」することが趣味
そもそも、家族や関心を持ったものを写真に収める行為の目的はどういったものなのか考えたところ、「記録すること」であって「写真を撮ること」ではないという結論になりました。
日々成長する子どもや妻との日常を記録する手段として写真は有用であり、記録の質を高めることを目指せば自然とスマホではなくカメラで撮ることになります。
また、大学生の頃からの趣味である一人旅で見たもの・体験したことを写真で記録することでいつでも心躍る旅の時間を追体験することができます。
そのため、旅先で撮る写真は被写体に興味があるわけではなく「旅の記憶」を残すための手段だったのだと腑に落ちました。
「記録をする」という目的であれば写真ではなく動画でも構わないわけで、実際にInsta360のカメラで家族の動画を撮るようになってからVlogにも関心を持つようになったことからも写真が目的ではなく手段であることを裏付けられています。
現時点では記録を見返すことが手間(時間がかかる)な動画よりも写真の方に比重が傾いていますが、将来的には動画撮影に移行しているかもしれませんね。
私にとってのカメラ
そういった観点で考えてみるとやはり私にとって「カメラ」は手段を実行するための道具にすぎないのでしょう。
Leica Qを買おうかなと思ったりもしていましたが、35mm単焦点のRX1RM2とRX1があるのに買い足しても仕方がないという判断で見送っていることからもその考えが根底にあることに気づきます。
カメラが趣味なのであれば今までのように合理性を度外視してとりあえず買って試しているはずですから。
もちろんカメラも好きですが、記録に残すための手段である写真を撮るための道具という位置付けになっているみたいです。
「写真が趣味」ではなく「趣味の手段の一つが写真」なのかもしれない
今回の思考で得た結論はひとまずおいておいて、説明がめんどくさいのでこれからも「写真が趣味」と周囲には宣言しブログやSNSでも発信し続けていくと思います。
しかし、自分自身では「家族や関心を持っているものを記録するための手段」の一つとして「写真」を選んでいることを認識して撮影することをこれから心がけていくことにしました。
認識一つで世界や物事の見え方は変わるものです。
これからの人生で私にとって「写真」は手段を超える何かになる日がくるのか楽しみですね。
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